こんにちは。
福島2日間終え月曜日の早朝に無事に帰宅して参りました。
心配してメールを下さった皆様ありがとうございました。
(福島では、私の古い携帯では電波を拾う事が
難しくお返事を返せなくてすみませんでした。)
今回 浜松市⇒福島県南相馬往復
走行距離1295キロ 飛んでまいりました!
余りにも衝撃的な風景
何となく知っていたつもりだった浪江地区
マスコミの情報だけでは分からない今の福島
やっぱり、足を運び現地の方々のお話を聞かなければ
知らない情報がいっぱいで・・・。
人間や動物達に対しての国のやり方や行政に
改めて怒りが芽生えました。
そして約6ヶ月前に行かせて頂いた小高地区もあの時と同じで
何も変わっておりませんでした・・・。
人も動物も2年の月日を我慢して生きてきました
一体あとどの位、この状態が続くのでしょう
改めまして、この震災で大切な家族やお友達を
亡くされた皆様や今も尚、避難生活をされてる皆様に
お見舞い申し上げますと共に1日も早く
復旧・復興出来ます様祈りたいと思います。
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さて、ここからは、私が見てきた今の福島を知って頂きたく
まずは、順番に頭の中を整理しながらご報告いたしますね。
まずは、今回福島に伺った
一番の目的のボランティア活動からご報告いたします。
12日仕事を終え 支度をして夜8時に浜松を出発し
途中、東北道 佐野サービスエリアで
私の好きな『佐野ラーメン』で腹ごしらえ
目的の1つでもある飯舘村の白ちゃんのお母さんの元へと向かいました
初日は寒く早朝5時頃の外気温度は-3度
車にも霜が
途中渋滞もなく 飯舘村には早朝5時ごろ到着
ここから白ちゃんのお母さんの住んでる
『はやま湖』へ
(到着する頃には夜も明け周りが明るくなってきてました。)
警戒心が強く、2匹に吠えられました
特にこの子が良き番犬をしてました。
フードがまだお皿に残っていたので、おやつだけをあげました。
続いて、白ちゃんのお母さん
車から降りた瞬間・・・。ダッシュで逃げ
帰るまで出て来てきてくれませんでした
お皿にフードが無かったので、少し与えたところ
ガッツリ食べてくれました おやつも美味しいそうに食べてくれました。
念願だったお母さんに会えて良かったです
白ちゃんも元気に暮してるから安心してねと伝えて起きました。
続いて、その足で小宮のじーちゃんに逢いに向かいました
途中、畑に2匹のワンが離れていたので即行、車を止めて呼ぶと
大慌てで一軒のお宅に逃げ込んだので追いかけるとおばちゃんが出てきました
誰も居ないと思ったからビックリ
お話を伺うと10匹のワンコを飼っているそうで
毎日ご自宅に通っているそうです。
ここで、産まれた仔犬ちゃんが亡くなったH様の元へと嫁いだと・・・。
その後がどうなったのか?凄く心配されていたので
信頼ある方の元に居るから安心して下さいと伝えて置きました。
もしも、こちらのお宅に通っているボラ様いらっしゃいましたら
仔犬ちゃんの行く先を心配なさっていましたので
その後の様子などをご報告して頂けると助かります。
そして、小宮のじーちゃん
この日は霜が降っていたので寒そうでしたが
元気な姿を拝見できて良かったです。
いつも一緒のニャンコの姿が無かったのが残念でしたが
でも、おやつを食べてくれてホッとしました
次は、いつ来れるか分からないけど・・・。
それまで、元気に生きていて欲しいと願いつつ・・・。
最終目的地 南相馬へと移動させて頂きました。
『3,11レスキュー日誌』 A様の元へ
予定通り8時に到着致しました。
1番に迎えてくれたのは
『ボス君』
他にもお外にはボスを入れて5匹?居たかな
みんな、里親様募集しています。
他にもシェルターの中にはニャンコ&ワンコ
レラ&アトウィのお母さん
『茶々ちゃん』
『ネネちゃん』
どちらとも、震災直後に産まれた命だと思います。
(かなりのビビちゃんこの子達も里親様募集しています。)
そしてエース君(5ヶ月 男の子)
ご縁あってタバサ家の保護犬となり
一緒に浜松まで帰ってきました。
2年が経った今でも、帰還困難区域には沢山の
ワンコやニャンコが今を必死に生き延びているようです。
その命を繋げるべく、ボランティアさん達が日々
必死になって命を繋げてくれています。
そして、A様と一緒に帰還困難区域内に前日に仕掛けた
捕獲機を回収に同行
初めて、浪江地区(津島)へと足を運ばせて頂きました。
(荒れ果てた町の様子は次回報告致します)
下津島での目撃情報があった白い犬
丁度、下津島に仕掛けた捕獲器2基がある場所で
(捕獲機には入っていませんでしたが・・・。)
民家の上の山の方で吠えながら逃げる白犬発見
首輪かな??タスキ状態で片足で逃げ山の中へ
追っかけましたが、既に逃げた後で・・・。
その日は、もう一度置き餌をばら撒きセットしましたが
次の日には、その白犬ではなくカラスが捕獲されていました
あの状態で放浪するには危険だし、早く保護して上げたいと言う気持ちで
もう一基仕掛ける事に・・・。
この仕掛けに1日も早く掛かってくれる事を願いつつ
次ぎの場所へと移動
こちらの公民館には、初日は何も掛かっていませんでしたが
次の日、行って見ると・・・。
何かが掛かっていたと思いますが餌と中身だけが消えており
人の手によってリリースされたようです
救われる命が・・・。残念でなりませんでした。
2日間の作業の中で初日に1つだけ、ワンコが入っておりました。
(この子も震災直後に産まれた命だと思われます)
こんなにも大きなマダニを沢山つけて
どの位、山の中を放浪し生きてきたのでしょうか?
怪我も無く無事に捕獲されて良かったと思います。
暫くはA様の元でメンタルを受け 良い里親様に出会い幸せになって
欲しいと祈るばかりです。
もちろん、猫おばさんこと吉田さんにも逢ってきました。
お元気そうで安心致しました。
皆様から頂いた支援物資に加え福島のホームセンターで
フードを追加購入しご支援してきました。
月曜日に吉田さんは東京に出向き、帰還困難区域内にボランティアが
入り活動出きる様、訴えて来るそうです。
願が叶いますよう、祈っております。
次回は、一緒に給餌活動させて下さいね。
折角なので、吉田さんと一緒に行った
原町区の係留されているワンコにも逢いに行って来ました。
(ここのご自宅は毎日飼主様が通って来ています)
マロンにそっくりな可愛い子
元気に生きていてくれてありがとう
次回、再会するまで元気で居て欲しいですね
しかし・・・。本当にマロンにそっくりなんですよね・・・。
福島県浪江町に設定された警戒区域と計画的避難区域が
4月1日午前0時をもって再編され
帰還困難区域内は、いずれ行政も入る事が出来なくなる場所のようです。
この区域内で放浪している
全ての動物達が、期限が来る前に無事に
ボランティアの手によって
保護される事を祈りたいと思います。
大熊の牛だからって注射で安楽死なんて認めない!!!
(他の地域に逃げた大熊の牛達は戻され殺されるそうです。)
そして震災当初、混乱の中とは言え
最初に一緒に避難した家族(ペット達)をそこも危険という事で、第二避難地へ
しかし迎えに来たバスには動物達を乗せられない為に、その場で山へ逃がすように指示した
国のやり方、今まで人に飼われていた動物達が生きて行けるとでも思ったのでしょうか?
国は命を何だと思っているのでしょうか?
見捨てたり殺せばすべて片付くとは思えません
どうか生かして保護できる方法を考えて欲しいと・・・。
そして、今も尚 必死に生きてる命の全権限を
被災動物の救済にあたっていますボランティア様達に
ゆだねて頂けないでしょうか?
非のない動物達をこれ以上見殺しにしないで下さい。
家主が居なくなったご自宅には
ひっそりと梅の花が開花の準備をしており
家主に見てもらえる事も出来ない水仙の花が満開となっておりました。